万维百科

太政大臣

日语写法
日语原文 太政大臣
假名 だいじょう だいじん、
だじょうだいじん
平文式罗马字 Daijō Daijin,
Dajō Daijin

太政大臣日本律令官制名,是律令制度下最高官位,宰相级职务。定员一人,位阶相当于正一位从一位。由亲王一品或诸王、诸臣中正从一位者充任,位居三公之首,辅佐天皇,总理国政。为非常设官职。令制规定“如无其人则阙”,故别称“则阙”。历史上实任者甚少。天智天皇时,大友皇子首任。758年(天平宝字二年)由藤原仲麻吕改称太师,764年复旧称。

理论上为律令制度下的的最高长官,但自从关白出现后,太政大臣的政治力遭到架空、成为一个“荣衔”。平安时代末期,平清盛以任太政大臣之职建立第一个武家政权平氏政权战国时代,关白丰臣秀吉大御所德川家康曾出任身兼此职。而织田信长在逝世后也被追赠此职。江户时代德川秀忠德川家齐两位征夷大将军生前出任此职;其他将军除了德川庆喜以外死后都追赠此职。

日本最后一任太政大臣是三条实美,任职于明治天皇明治四年(1871年)至明治十八年(1885年)。君主立宪制实施后被总理大臣(首相)取代。

倭训作“おおまつりごとのおおまえつぎみ”[1]。其中“まつりごと”虽然可以解释为“祭事”,但因为日本上古时代政教合一,所以又通“政”[2]。“まえつぎみ”则是继承自古坟时期“大夫”一词而来[3]

太政大臣列表

  • 原则上根据《公卿补任》,酌情参考其他的资料订正(以下日期皆为阴历
就任 离任
死亡当天的日期标记)
在任时天皇 备注
大宝令以前的太政大臣
大友皇子 天智天皇10年1月5日
(671年2月19日)
天智天皇10年12月3日
(672年1月7日)
天智 皇位继承(称制か)に伴い离任
高市皇子 持统天皇4年7月5日
(690年8月15日)
持统天皇10年7月10日
(696年8月13日)
持统
依据大宝令养老令任命的太政大臣
恵美押胜
藤原仲麻吕
天平宝字4年1月4日
(760年1月26日)
天平宝字8年9月11日
(764年10月10日)
淳仁 太师
孝谦上皇に対する谋反により解官される
道镜 天平神护元年闰10月2日
(765年11月19日)
天平神护2年10月20日
(766年11月26日)
称德 太政大臣禅师
法王就任に伴い离任
藤原良房 齐衡4年2月19日
(857年3月18日)
贞观14年9月2日
(872年10月7日)
文徳清和 清和天皇元服加冠
封国美浓国谥号忠仁公
藤原基经 元庆4年12月4日
(881年1月7日)
寛平3年1月13日
(891年2月24日)
阳成光孝宇多 阳成天皇元服加冠
封国越前国、谥号昭宣公
藤原忠平 承平6年8月19日
(936年9月7日)
天暦3年8月14日
(949年9月9日)
朱雀村上 朱雀天皇元服加冠
封国信浓国、谥号贞信公
藤原实赖 康保4年12月13日
(968年1月15日)
天禄元年5月18日
(970年6月24日)
冷泉円融 封国尾张国、谥号清慎公
藤原伊尹 天禄2年11月2日
(971年11月22日)
天禄3年11月1日
(972年12月9日)
円融 円融天皇元服加冠
封国三河国、谥号谦德公
藤原兼通 天延2年2月28日
(974年3月24日)
贞元2年11月8日
(977年12月20日)
円融 封国远江国、谥号忠义公
藤原赖忠 贞元3年10月2日
(978年11月5日)
永延3年6月26日
(989年7月31日)
円融、花山一条 封国骏河国、谥号廉义公
藤原兼家 永祚元年12月20日
(990年1月19日)
永祚2年5月5日
(990年5月31日)
一条 一条天皇元服加冠
藤原为光 正暦2年9月7日
(991年10月17日)
正暦3年6月16日
(992年7月18日)
一条 封国相模国、谥号恒徳公
藤原道长 寛仁元年12月4日
(1017年12月24日)
寛仁2年2月9日
(1018年2月27日)
后一条 后一条天皇元服加冠
藤原公季 治安元年7月25日
(1021年9月4日)
长元2年10月17日
(1029年11月25日)
后一条 封国甲斐国、谥号仁义公
藤原赖通 康平4年12月13日
(1062年1月26日)
康平5年9月2日
(1062年10月7日)
后冷泉
藤原教通 延久2年3月23日
(1070年4月6日)
延久3年8月10日
(1071年9月6日)
后三条
藤原信长 承暦4年8月14日
(1080年8月31日)
寛治2年11月23日
(1089年1月7日)
白河堀河
藤原师实 寛治2年12月14日
(1089年1月28日)
寛治3年4月25日
(1089年6月6日)
堀河 堀河天皇元服加冠
藤原忠实 天永3年12月14日
(1113年1月3日)
天永4年4月14日
(1113年5月30日)
鸟羽 鸟羽天皇元服加冠
源雅实 保安3年12月17日
(1123年1月16日)
天治元年7月7日
(1124年8月18日)
鸟羽、崇德
藤原忠通 大治3年12月17日
(1129年1月9日)
大治4年4月10日
(1129年4月30日)
崇德 崇德天皇元服加冠
藤原忠通
(还任)
久安5年10月25日
(1149年11月26日)
久安6年3月13日
(1150年4月12日)
近卫 近卫天皇元服加冠
三条实行 久安6年8月21日
(1150年9月13日)
保元2年8月9日
(1157年9月14日)
近卫、后白河
藤原宗辅 保元2年8月19日
(1157年9月24日)
永暦元年7月20日
(1160年8月23日)
后白河、二条
藤原伊通 永暦元年8月11日
(1160年9月12日)
长寛3年2月3日
(1165年3月16日)
二条
平清盛 仁安2年2月11日
(1167年3月4日)
仁安2年5月17日
(1167年6月13日)
六条
藤原忠雅 仁安3年8月10日
(1168年9月13日)
嘉应2年6月6日
(1170年7月21日)
高仓
松殿基房 嘉应2年12月14日
(1171年1月21日)
嘉应3年4月20日
(1171年5月26日)
高仓 高仓天皇元服加冠
藤原师长 安元3年3月5日
(1177年4月5日)
治承3年11月17日
(1179年12月17日)
高仓 平清盛のクーデタにより解官・流配される
九条兼实 文治5年12月14日
(1190年1月21日)
建久元年4月19日
(1190年5月24日)
后鸟羽 后鸟羽天皇元服加冠
藤原兼房 建久2年3月28日
(1191年4月23日)
建久7年12月9日
(1196年12月30日)
后鸟羽
藤原赖实 正治元年6月22日
(1199年7月16日)
元久元年12月7日
(1204年12月29日)
土御门
九条良经 元久元年12月14日
(1205年1月5日)
元久2年4月27日
(1205年5月17日)
土御门 土御门天皇元服加冠
藤原赖实
(还任)
承元2年12月17日
(1209年1月24日)
承元3年1月21日
(1209年2月26日)
土御门 皇太子顺徳天皇)元服加冠
三条公房 建保6年10月9日
(1218年10月29日)
承久3年12月20日
(1222年2月2日)
顺徳仲恭后堀河
近卫家实 承久3年12月20日
(1222年2月2日)
承久4年4月10日
(1222年5月22日)
后堀河 后堀河天皇元服加冠
西园寺公经 贞应元年8月13日
(1222年9月19日)
贞应2年4月2日
(1223年5月3日)
后堀河
九条良平 嘉祯4年7月20日
(1238年8月31日)
暦仁2年1月19日
(1239年2月24日)
四条
近卫兼经 仁治元年12月14日
(1241年1月27日)
仁治2年12月20日
(1242年1月22日)
四条 四条天皇元服加冠
西园寺实氏 寛元4年3月4日
(1246年3月29日)
寛元4年12月9日
(1247年1月17日)
后深草
久我通光 寛元4年12月24日
(1247年2月1日)
宝治2年1月17日
(1248年2月13日)
后深草
鹰司兼平 建长4年11月3日
(1252年12月5日)
建长5年11月8日
(1253年11月30日)
后深草 后深草天皇元服加冠
徳大寺实基 建长5年11月24日
(1253年12月16日)
建长6年2月11日
(1254年3月1日)
后深草
西园寺公相 弘长元年12月15日
(1262年1月7日)
弘长2年7月2日
(1262年7月19日)
亀山
花山院通雅 建治元年8月27日
(1275年9月18日)
建治2年3月29日
(1276年4月14日)
后宇多
鹰司兼平
(还任)
建治2年12月14日
(1277年1月19日)
建治3年4月26日
(1277年5月30日)
后宇多 后宇多天皇元服加冠
鹰司基忠 弘安8年4月25日
(1285年5月30日)
弘安10年8月13日
(1287年9月21日)
后宇多
堀川基具 正应2年8月29日
(1289年9月15日)
正应3年3月15日
(1290年4月25日)
伏见
西园寺实兼 正应4年12月25日
(1292年1月6日)
正应5年12月28日
(1293年2月5日)
伏见
洞院公守 正安元年6月2日
(1299年6月30日)
正安元年10月13日
(1299年11月7日)
后伏见
二条兼基 正安元年11月21日
(1299年12月14日)
正安2年4月19日
(1300年5月8日)
后伏见 后伏见天皇元服加冠
土御门定实 正安3年6月2日
(1301年7月8日)
正安4年7月[4]
(1302年7月)
后二条
徳大寺公孝 乾元元年11月22日
(1302年12月11日)
嘉元2年3月13日
(1304年4月18日)
后二条
一条实家 嘉元4年12月6日
(1307年1月10日)
延庆2年10月15日
(1309年11月21日)
后二条、花园
大炊御门信嗣 延庆2年10月15日
(1309年11月21日)
延庆3年12月15日
(1311年1月5日)
花园
鹰司冬平 延庆3年12月15日
(1311年1月5日)
延庆4年4月24日
(1311年5月13日)
花园 花园天皇元服加冠
三条实重 文保2年8月24日
(1318年9月19日)
元应元年10月18日
(1319年11月30日)
后醍醐
久我通雄 元应元年10月18日
(1319年11月30日)
元亨3年5月2日
(1323年6月6日)
后醍醐
鹰司冬平
(还任)
元亨3年11月9日
(1323年12月7日)
嘉暦2年1月19日
(1327年2月11日)
后醍醐
今出川兼季 正庆元年11月8日
(1332年11月26日)
正庆2年5月17日
(1333年6月29日)
光严 光严天皇廃位に伴い任官を取り消される
久我长通 历应3年12月27日
(1341年1月15日)
暦应5年2月29日
(1342年4月5日)
光明
洞院公贤 贞和4年10月22日
(1348年11月13日)
观应元年3月18日
(1350年4月25日)
光明、崇光
久我长通
南朝
正平6年12月
(1352年1月)
正平7年
(1352年)
后村上 正平一统に伴う任官
洞院公贤
(南朝)
正平8年6月
(1353年7月)
正平9年?
(1354年?)
后村上 南军の京都回复に伴う任官
西园寺公重
(南朝)
(年月日不明) 正平19年7月以降
(1364年7月以降)
后村上
久我通相 贞治5年8月29日
(1366年10月4日)
应安元年3月21日
(1368年4月8日)
后光严
二条良基 永徳元年7月23日
(1381年8月13日)
至徳4年1月8日
(1387年1月28日)
后圆融后小松 后小松天皇元服加冠
徳大寺实时 明徳5年6月5日
(1394年7月3日)
应永元年12月25日
(1395年1月16日)
后小松
足利义満 应永元年12月25日
(1395年1月16日)
应永2年6月3日
(1395年6月20日)
后小松
久我具通 应永2年6月3日
(1395年6月20日)
应永3年2月3日
(1396年3月12日)
后小松
三条实冬 应永9年8月22日
(1402年9月19日)
应永14年2月6日
(1407年3月15日)
后小松
徳大寺公俊 应永27年闰1月13日
(1420年2月26日)
应永27年3月16日
(1420年4月28日)
称光
二条持基 永享4年7月25日
(1432年8月21日)
永享5年2月26日
(1433年3月17日)
后花园 后花园天皇元服加冠
一条兼良 文安3年1月29日
(1446年2月24日)
宝徳2年4月28日
(1450年6月8日)
后花园
久我清通 享徳元年10月8日
(1452年11月19日)
享徳2年2月2日
(1453年3月12日)
后花园
西园寺公名 享徳4年6月6日
(1455年7月20日)
康正3年8月28日
(1457年9月16日)
后花园
二条持通 长禄2年7月25日
(1458年9月2日)
长禄4年6月27日
(1460年7月15日)
后花园
近卫房嗣 寛正2年12月25日
(1462年1月25日)
寛正3年
(1462年)
后花园
久我通博 文明13年7月26日
(1481年8月21日)
文明14年10月7日
(1482年11月17日)
后土御门
鹰司政平 文明17年3月20日
(1485年4月5日)
文明17年4月19日
(1485年6月1日)
后土御门
近卫政家 长享2年9月17日
(1488年10月21日)
延徳2年3月2日
(1490年3月22日)
后土御门
一条冬良 明应2年1月6日
(1493年1月23日)
明应6年7月12日
(1497年8月10日)
后土御门
徳大寺实淳 永正6年12月19日
(1510年1月28日)
永正8年2月19日
(1511年3月11日)
后柏原
近卫尚通 永正11年8月12日
(1514年8月31日)
永正13年12月27日
(1517年1月19日)
后柏原
花山院政长 永正15年5月28日
(1518年7月5日)
永正18年3月27日
(1521年5月3日)
后柏原
三条实香 天文4年8月28日
(1535年9月25日)
天文5年6月25日
(1536年7月13日)
后奈良
近卫稙家 天文6年12月21日
(1538年1月21日)
天文10年4月29日
(1541年5月24日)
后奈良
近卫前久 天正10年2月2日
(1582年2月24日)
天正10年5月
(1582年5月)
正亲町
豊臣秀吉 天正13年12月25日
(1586年2月2日)
庆长3年8月18日
(1598年9月18日)
后阳成
近卫基熙 宝永6年10月25日
(1709年11月15日)
宝永6年12月9日
(1710年1月8日)
中御门
近卫家熙 宝永7年12月25日
(1711年2月12日)
正徳元年7月28日
(1711年9月10日)
中御门 中御门天皇元服加冠
近卫家久 享保18年1月25日
(1733年3月10日)
享保18年12月27日
(1734年1月31日)
中御门
一条兼香 延享3年2月28日
(1746年4月18日)
寛延4年7月29日
(1751年9月18日)
樱町桃园 储君(桃园天皇)元服加冠
近卫内前 明和5年5月25日
(1768年7月9日)
明和7年10月15日
(1770年12月1日)
后樱町 皇太子(后桃园天皇)元服加冠
近卫内前
(还任)
明和8年11月15日
(1771年12月20日)
安永7年2月8日
(1778年3月6日)
后桃园
九条尚实 安永9年12月25日
(1781年1月23日)
天明元年5月20日
(1781年6月11日)
光格 光格天皇元服加冠
鹰司政通 天保13年8月22日
(1842年9月26日)
嘉永元年9月22日
(1848年10月18日)
仁孝孝明
武家官位としての太政大臣
徳川家康 元和2年3月17日[5]
(1616年5月2日)
元和2年4月17日
(1616年6月1日)
后水尾
徳川秀忠 寛永3年8月18日[6]
(1626年10月8日)
寛永9年1月24日
(1632年3月14日)
后水尾、明正
德川家齐 文政10年2月16日
(1827年3月13日)
天保12年闰1月30日
(1841年3月22日)
仁孝
明治时代の太政官制における太政大臣
三条实美 明治4年7月29日
(1871年9月13日)
1885年(明治18年)12月22日 明治 内阁制度発足に伴い内大臣に転任

参考资料

  1. ^ https://dictionary.goo.ne.jp/jn/28235/meaning/m0u/
  2. ^ https://dictionary.goo.ne.jp/jn/208969/meaning/m0u/まつりごと/
  3. ^ https://kotobank.jp/word/大夫-91924
  4. ^ 一代要记’は同年4月6日(1302年5月4日)とする。
  5. ^ これは宣旨に记载された日付で、实际は同年3月21日(1616年5月6日)に任大臣宣下の阵仪が行われた。
  6. ^ これは宣旨に记载された日付で、实际は同年9月12日(1626年10月31日)に任大臣宣下の阵仪が行われた。

本页面最后更新于2020-06-02 13:00,点击更新本页查看原网页

本站的所有资料包括但不限于文字、图片等全部转载于维基百科(wikipedia.org),遵循 维基百科:CC BY-SA 3.0协议

万维百科为维基百科爱好者建立的公益网站,旨在为中国大陆网民提供优质内容,因此对部分内容进行改编以符合中国大陆政策,如果您不接受,可以直接访问维基百科官方网站


顶部

如果本页面有数学、化学、物理等公式未正确显示,请使用火狐或者Safari浏览器